少年/少女趣味
某所でね、少女趣味という言葉を侮蔑語の一環として扱っている文章に触れたんですよ。まあつまりは、甘ったるいとか考えなしとか、そういう意味で。ちなみに、侮蔑語を投げ掛けられた対象は(生物学的には)成人男性。
で、まあここで、少女趣味が侮蔑語として扱われるのなら、少年趣味という言葉も侮蔑語として扱われなければフェアじゃないよなあ、と考えてしまうのは理の当然——というかなんというか、自然の流れといってしまえば自然な流れで。
「何かそれって少年趣味じゃない?」といわれて、
「えーそうかなあ?」と顔をしかめる、みたいな。
未熟とか考えなし(神をも恐れぬ偏見を交えてしまうと、不潔とか乱暴とか助平とか……)ということでいえば、へいきでこれもまた侮蔑語として通用するものね。
とはいいつつ、少年趣味という言葉を、いままでぼくはペデラスティ(少年愛)という意味でしか世に流通している様を目にしてない気がするのです。つまりは、日の当たる場所には登場していない、という印象で。最近は、少女趣味においても、もしかするとそのような様相が掛かっている節があるのかもしれないけれど。
さて——では、この少女趣味と少年趣味における境遇不均衡の原因はいったい何だ? というところで、ここでまた、少女趣味の中の「女」という字にこそその因があるのかもしれない……などと、ときおり耳にする言説を申し上げるつもりはさらさらなく。なぜなら、少女時代・少年時代という言葉に至っては、両者ともいたってニュートラルに世に流通しているわけだし(と思うし)。
そこで少々。ぼくの仮説:
- 少年趣味という言葉は、少女趣味という言葉よりも口にしづらい。
- なぜなら、「しょうねんしゅみ」という音の中に、撥音(「ん」という音)と拗音(「しゅ」という音)の組み合わせが存在しているからだ。
- よって、少年趣味は少女趣味と違って、日常語としての地位(侮蔑語)を獲得することができなかったのである。
……というところまで考えて、ひとりで勝手に「なるほどなあ」と頷きつつ納得——というかなんというか——していたのですが、ここで、思いがけない伏兵が襲来。
民主主義という言葉はどうなるのだろう? これも、少年趣味と同じく、撥音「ん」と拗音「しゅ」という組み合わせを内に存在させていながらも、平気で、日常語——とまではいかずとも、少なくとも、人口に膾炙していない、という状態では、決してない……いや、はっきりと、ふつうに流通しているといっても、おかしくない。
みんな好きだしなあ、民主主義。(たぶん少年趣味よりかは)
いいづらいことはいいづらいんですけどね。民主主義も。しゅしゅって2回も続くし。
- 「みんしゅしゅぎ」
- 「しょうねんしゅみ」
いいづらさにおいては、この2種は、イーブンといっても過言ではない……かと。
そこでふたたび、あたまを抱えてみたり。
——この流れで、はたして、少年主義という言葉(よく意味は判らないのですが)と少女主義という言葉(これもまた同様)、いったいどちらの方が世の中での流通度が高いのだろう? という点にも関心が向かいまして。
桁が違う……! ほらみろ、やっぱりこのふたつにおいても、「撥音+拗音という壁」が大きく立ちはだかっているんだ! と、一時しおれた意がふたたび強く首をもたげた次第なのであります。
忘れちゃいけない。件の少年趣味・少女趣味における流通度のチェックも。
……この差はまあ、予想通りで(ちなみに、少年時代・少女時代という言葉でも同じく世の流通度を確認してみたのですが、このエリアでは「井上陽水」というバイアスが強烈に掛かっているので、参考には向かない模様)。
——などということを、つらつらと書いてきましたが、純度100%の正解は知りませんよ。もちろん。「少女趣味と少年趣味における境遇不均衡の原因」の正解は。「撥音+拗音という壁」って、これぜんぶぼくの仮説(というか妄想)で。いまの自分には思いもよらない要素がここには複雑に絡んでいるという可能性も、それこそ十二分にあります。
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「じゃあ、民主主義という言葉が、いいづらさにもかかわらずふつうに流通しているのはどういうわけ?」
と、最後に残された疑問がひとつ。
これに対しては、
「逆に、それだけ——いいづらさを凌ぐほど——民主主義という概念の重要性が高いということなんですよ」
などと、どさくさまぎれにあたりさわりのないことを書いてみたりもしてね。