弓手

 テレビとか映画を見ていて、左で箸やペンを持っているひとを目にすると、まあ「嬉しくなる」というほどの激しい感情ではないのだけれど、それでも、かすかに、自分の中で何かがぴくりと反応するのはれっきとした事実なんですね。ある分野での、マイノリティとしての当然の反応といってもいいのかもしれません。
 別にそれは、テレビや映画だけではなく、雑誌やネット上での写真においても同様の反応が起きているわけで——むろん、それは、こちら側に、そのひとの利き手に関する情報のみが欠落している(その他の情報においては存分に浴びている)場合において、よりいっそう顕著になっていくのです。
 さて、そこで出てくる、この写真(→)。陽光をバックにカレーライス(だろうか?)を食する小説家・長嶋有ポートレート。ああ。レンガと皿と服とテーブルの暖色コーディネーションが絶妙。ちょっと高貴な雰囲気をも纏っている(←私見)。しかもしかも——左手で、スプーンを持っているの図。
 いた。ここにも、いた。
 というような、いわば発見の驚きに自身の内部が静かに振動し続けている状態において、次に、このような写真(→)を目に入れてしまうと……何というか、ちょっとした、腰がくだけるというか、振動のやり場に困ってしまう感情に襲われたりするのもまた偽りのないところなのです(もちろん、長嶋有側には何の咎もありません。勝手に振動しているこちらが一方的にまぬけなだけ。むしろ、既存の氏への好意に、更に独特の色合いが今回混ざったような具合)。
 ところで、先に公開された映画『ミルク』——とても面白かった——を観ながら、ぼくは、主題じたいとは関係なく、上のと似たような振動の経過を経験していたのだけれど(市長役の俳優の利き手に関して)……あれはもしかすると、ガス・ヴァン・サント監督による、明確な意図の元に拠る演出だったのかな? 「あまり拘るなよ、利き手とかセクシャリティとか」みたいな? 単なる思い込み? 些事といえば立派に些事なのだけれど、気になるといえばやっぱり少々、気にもなっていたり。