寝床

 どうにも厳しい。というのは、サウナに備え付けられているテレビから流れてくる効果音としての若い男の子たちの笑い声についてなんですけど。ううう。ナンシー関も書いていたように、落語の「寝床」そのままっすよ(→)。字義どおりのジャイアニズムとでもいうか。
 聞かされたくはない中年男のギャグを無理矢理に聞かされて、それだけならまだしも、そのギャグをおかしいものとしてもてはやす構図をまざまざと見せつけられる。どうして、娯楽のひとつとしてのサウナの中で、こんな拷問を受けねばならぬのか? 君が偉いのは判ったからさあ。こちらの楽しみまで奪わないでくれよ。と、目を瞑っても入ってくる音に対して文句をいっても始まらないので耐えるのみなんですが。
 ていうか、ここでの厳しさは、その発言者にも無論のことあるのですけれど、それ以上に、それをもてはやす若い男の子たちの笑い声にもあるのですね。いや、こっちの方が大きいかな? 追従とか被虐とかヒエラルキーといったものを、こちらに如実に想起させるから。
 サウナってのは、ぼくにとっては非日常の場として確保させときたいんですよ。いまでも。なのに、しのびよる日常のざんこくな黒い影。ウイルス並み。というのか何というのか……。
 どうしてああいう笑い声って、若い男の子たちだけなんすかね? それこそ若い女の子たちの笑い声をも交えたものに替えたらいいのに。楽しいだろうに。そうするとまた今度は別の(さらにややこしい)問題が想起されるのか? 笑いと差別は密接に繋がっているともいうし……。難しい。
 ああした効果音としての笑い声にも、やっぱり質はあると思うんですよ。サクラとしての笑いにも。そこが徹底的に——わざとやってる? と思えるくらいに——不問に付されているのが、ここでのいちばんの厳しさなのかもしれません。