矛先

 単行本に収録する際に、新聞雑誌連載時とは文章が異なったりしてると、わりにがっかりします。それはまあ、推敲の果てにそうなった、ということに(書き手側からすると)なるのだろうけれど——だからそれはりっぱな努力や誠意の一種として賞賛されることも判ってはいるのだけれど——こちらとしては、いちど目にして気に入ったものを故意に改造させられた、という感じを抱くことにもなりかねないのです。初恋のひとの容姿が変わっちゃった、みたいな。仕方ないのかな。仕方ないんだろうなあ。しかし、この「惜しい!」という気持ちの矛先は、どこで発散させればいいのでしょう? 耐えるのみ?(うえの話とは何の関係もないっすよ。念の為。)