誘導(言い換え)

 端的にいいますね。もう、利き手を扱っている文脈で、「矯正」って言葉をつかうのは止した方がいいじゃないかなあ。ほんとに。「矯正」「矯正」って、それ正しくないから。むしろ、やられた方としては「強制」(←洒落に非ず)としか受け止められないから。同化政策じゃないんだから。
 って、こんなところでぼくみたいなひょうろく玉がぴーぴーいっても何の説得力もないことは自覚してて。巷説でしか知らないのだけれど、ほら、日野原重明先生が「成人病」って言葉はいろいろと誤解を与えるからって「生活習慣病」ってのに換えたじゃないっすか(←あってます?)。
 「矯正」ってのも、換えましょうよ。「強制」に、じゃなくて(まあそっちの方がやられた側としては正解なんだが)、そう、「誘導」とかに。
 これ、いいと思うんすよね。って、けっしてぼくが発案したわけじゃなく。先週読んだ『左利きの子』の訳者の方(笹山裕子氏)がつかってたんですけど。やる側、やられる側、どっちにも偏ってなくて。ニュートラルで。いいと思うんだけどなあ。

 幼少時代には左利きであったと伝わる。その後、誘導した結果現在は両手利きであるという。(「明仁 - Wikipedia」より一部修正)

 ね? まあこれは主格があやふやでけっしていい例じゃないんだけれど。(ほんとなら「周囲の人間が誘導した結果」と補足したいところなんだが、そうはいかないのだろう。)
 ちなみに、元の文章はこちら(→)。

 幼少時代には左利きであったと伝わる。その後、矯正した結果現在は両手利きであるという。

 やっぱ、やばいっすよ。これは。いろんな意味で。
 というわけで——ここいらへんで、そろそろどこかの権威が鶴の一声を発してくれないもんっすかね。「もう『矯正』っていうのは止めようよ」って。ほんとに。
(……もしかして、この利き手「矯正」問題って実のところ公的には解決してるのかな? かなりに時代錯誤なこといってます?)