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 しかし「矯正」という言葉の「正」の字にいちゃもんを付けておきながら、その直後に、「修正」という言葉を無自覚に用いてしまう不用意さというのはいったい如何なものだろうかと、前回書いた文章をふと思い返し、真夜中、2時間ほど眠れなくなる。こういうところが我ながら——以下、下品な表現——ケツの穴が小さい。
 ケツの穴といえば。

お尻とその穴の文化史

お尻とその穴の文化史

 フランスの医者が書いた本っすね。この本の中で、著者の目から見た、文化史としてのハードルを超えた美しい尻として『眠れるヘルマフロディトス』の像(→)等が紹介されているわけです。といっても、ぼくがこれを知ったのは今回はじめてなんですが。フランス人なら誰もが知ってるメジャーな物件なのだろうか? もしかして、日本でもふつうに「ああ、あれか」ってコンセンサスを得ている代物なのだろうか? ルーヴル美術館所蔵とかいっているし。
 そこで、我らが日本でも、これと同じ趣旨の本が出た場合、いったいどのような尻が紹介されていくのだろうか? と、敷衍して想像するというのもごくごく自然な行為というもので。ポイントは、文化史って言葉っすね。だから、たとえ誰が見ても美しい尻であったとしても、このハードルを越えていなければアウト。(万人受けしないのは、申し訳ないけれど却下。)誰もが知っている美しい尻であって欲しい。←ぜひともこれを強調したい。ということで、出てくるのが——荻原守衛の「女」かなあ……? たしか教科書にも載っていたと記憶してるし。メジャーだし。美しいし。でも、ちょっとだけ、弱い気もします。「尻の文化史」という面からすると。
 そうか。もう20年前の出来事か。と嘆息もつきたくなる若き日の宮沢りえのふんどし姿。これはけっこう、日本限定だと、尻の文化史という面ではよゆうでハードルを越えているように思えます。古いブツで恐縮ですが。でもまあ「史」という点からすると、説得力があるんじゃないかな? どうなんだろう? 飯島愛Tバック。うーん。これはなあ。確かに「史」にはりっぱに組み込まれているのだろうけれど、またこういう線とは異なる気がする——というのは偏見なのかなあ……。(しかしほんと古い話で恐縮っす。)
 もちろん差別しているわけではないけれど、こうして見ると、男の美しい尻ってのは稀少ってことになるんでしょうか? 上の『お尻とその穴の文化史』でも、ミケランジェロダビデ像とかに頼ってるし。これは思い切り「外国人助っ人」っぽい。イタリアだし。(いちおう、上のヘルマフロディトスの像は少年らしいのですが、乳房も付いているアンドロギュヌスということでここでは除外。)しかし、文化史のハードルを越えているメジャーな男の美しい尻ってが、そうはかんたんに思い付けないってのも事実。日本では、定期的にテレビから流される力士たちの締め込み姿に「尻の文化史」としての需要——美しいか否かは置いておいて——が国民の間でじゅうにぶんに満たされているから(あらためて具体的な個々の男の尻を文化史の中に組み込む気力がどうにも湧かなかった)等のくだらない屁理屈を縷々述べることも出来るのですが、フランスの事情はなあ。まるで知らないからなあ。どこかに盲点があるのかなあ?