美と羊

<ところで、「美」という漢字はどのようにして出来たのか。>

「この字は中国でも砂漠地帯の人たちの間で生まれた字で、彼らにとって羊が大きいということは素晴らしいことだったので、羊に大きいと書いて美なのです」という嘘か本当か分からない説明を受験参考書で読んだ覚えがある。ドイツにはトルコ人の経営する食料品店がたくさんあるが、ガラスケースの中にある大きな羊の肉の塊を見るたびにわたしは、ああ、あれが美なのだ、と思ってしまう。

 多和田葉子の『エクソフォニー』より。「美」という漢字を目にするたびにぼくは、多和田葉子のこの羊のエピソードを思い浮かべてしまうのです。(←ちょっと誇張入ってますが。)個人的には、「声に出して読みたい日本語」ランキングで、多和田葉子の文章は常にトップに入ります。この前出た『ボルドーの義兄』もとても良かった。何が良いって、味が良い。

ボルドーの義兄

ボルドーの義兄

優奈は空腹だった。また新しい言語をかじりたかった。むかし学校でもらった英語や古典の成績はかんばしくなかったが、それでも優奈は言語や単語への健康な食欲を失うことはなかった。単語を覚えるために辞書を食べてしまうことさえあった。おかげで、出版社にはパリパリの紙を使うところもあれば、繊維の多い紙や、粉っぽい紙を使うところもあることも知っていた。語学の勉強をしていると、机が食卓に、鉛筆が箸に変貌する。

 こういう文章こそが、ぼくにとってはほんとうに食欲をそそります。しかもぜんたいにへんてこりんで。「ごっつあんです」って感じだ。