地味な作業

 しかし、底が見えないっすね。英語の勉強というのは。というか、歴然と単語の暗記にここは絞られるのですが。愛用していたのは、柴田元幸村上春樹が使っている、という文言に触れ、急遽購入したロングマン現代英英辞典。

Longman Dictionary of Contemporary English with DVD-ROM

Longman Dictionary of Contemporary English with DVD-ROM

 付録のDVDがなかなかうまく取り出せなくてねえ……。困りましたよ。取り出し口にべったりと付着されているシールの糊がDVDの裏のびっとりと貼りつくし……。申し訳ないけれど、買った書店にその旨を伝えて、取り替えてもらいました。というか、これは偏見かもしれないけれど、日本製だと、こんな風に取り出し口にシールの糊がべっとりと付着している、というケースはあり得ないんじゃないか?「なんだこれ」って、非難囂々の嵐になるんじゃないか? 単にこちらが間抜けなだけなんでしょうか?
 で、ここに掲載されている例文やら説明を時間を見つけてちまちまとノートに写す日々。こんなのっすね。写すのって。

manga / n 〔U〕Japanese COMIC books. The pictures in the stories usually go from right to left in the same way as Japanese writing, and the characters often have very large eyes.

 後半の、「the characters often have very large eyes」(しばしばとても大きな目を有している)という記載はなかなかに気に入っているんですが。実際、大きいんでしょうなあ。「manga」って。外部から見る特徴として。まあそれはともかく。
 作業としては、かなりに地味なものだから(勉強というものがことごとくそうであるように)、そういうことを連日嘆息をつきつつ繰り返しおこなっていると、体内組織の方にも、具体的に変化が生じてくるような気もします。ちょっとその線とは違うかもしれないけど、体脂肪率が上がったしなあ。微妙に。あと、別に目覚ましを早く掛けるようになったわけでもないのに、睡眠時間が減少していきました。眠りの神に申し開きできない。試験のストレスというのは、そしてその影響というのは、やはり確固として存在しているようです。
 そんなこんなで、受けてきましたよ。英検準1級。先週の日曜に。「いまさらかよ」という声も甘んじて受けます。ちょっと、理由がありましてね。個人的な理由ですが。前に読んだ、左利き用の本に書いてあった効果を試してみたい(→)というのがまずひとつ。右利きの人には「何のことやら?」と思われるでしょうが、例えば、「T」という字の横棒を、左手だと、通常の書き順とは逆に、右から左に向かって書いた方が、きれいに映るんですね。しかも書きやすいし。そうしたコツを踏まえた上で、改めて英語(でなくてもいいんだけれど)を勉強したら、ちょっとは前までよりもうまく行くかな、という儚い希望がありまして。
 あとは、早急に日常で必要というわけではないのだけれど、もしこれに合格したら、前から欲しかったホルベインの色鉛筆36色(→)を購入してしまおう、と思いまして。いわゆる自分に御褒美っつーやつで。
 しかし、当日のマスク率は、高かった、ような気がします。具体的に数えたわけじゃないんですが。少なくとも、1教室に、5人はいたな。高くないっすか? でも、完全防備の半球状のをつけてる人もいたりして、気合が違うなあと、こちらとしてはほとほと感心せざるを得なかったのです。
 あ、あと、試験開始前に、問題が透けて見えないかと、必死に裏から指で用紙をなぞっている男の子もいましたね。天晴れな気合っす。というか、こういうのは若い男の子全般に備わっている習性なのでしょうか? ちょっとなつかしい(ような)光景ではありました。
 で、結果はというと……来週なんだなあ。これが。いまでもどきどきっす。ほんとに。ホルベインはどうなるのだろう? 割に真剣に買いたいのですが。筆記の出来さえよければ、何とか、と、この期に応じて往生際の悪いことをちんたら思い煩っているような状態。いかんっすね。
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 ところで、これは先々週の話。青山学院大学に出向き、京極夏彦の講演を聞いてきました。青学に行くのも、そしてもちろん生の京極夏彦を見るのも初めての経験で。関係ないけど、表参道の駅というところには、やたらとテレビドラマのポスターがあちこちに貼ってあるものなんすね。テレビ局の種に関係なく(たぶん)。時期的なものだったのかな? 地元じゃ決して有り得ない光景なので。
 蔦の絡まるチャペル、なるものの跡地で講演は行われたものだから、何となく「和」のとしての京極夏彦と「洋」としてのチャペルの雰囲気に齟齬が生じるのではないかと、そこはかとない不安を抱いてはいたのですが(全ての座席の前に聖書があったりして)、そんなことはちっとも起こらず、実に楽しい講演でした。一応、待ち時間には、英検の問題集を開いてましたよ。いやずいぶんと早く——1時間も前に——到着してしまったんで。変な奴です。みごとに。まわりは女性ばっかりだったしなあ。青学の学生だけでなく、ファンと思しき連れとか。「生の声が聞けた」と帰りに喜んでいましたよ。京極本人だけでなく、こうした層の実情を目の当たりにできたのも大きな収穫です。
 前に、鬼太郎のアニメで、京極が声優として登場した回を見たことがあるけれど、そして、そのときにも思ったのだけれど、あれ、ぜったい素人の声じゃないっすね。響く響く。そして強弱つけるつける。判りやすいことこの上ない。いろいろと、そっち方面の学習も済ませているのだろうなあ。というか、資質なのかな? 感嘆、っす。
 途中、「世の中に不思議なことなど何ひとつないのです」とかいってましたよ。あの人張りに。それこそ、そのときには、ちょっと他では耳にできそうにない、不思議な笑い声が湧き起こっていましたが。
 話の内容? えーと……オカルトに走るくらいなら、まだ妖怪にはまっている方がどれだけいいかしれない。と、氏の著作で目にする主張は、しっかりと体内に摂り込みました。いまも、響いております。
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 妖怪といえば。読みましたよ。川上弘美の最新作『これでよろしくて?』。はっきりと、現在のちょっと微妙に不安な心境にぴったりとフィットする作風でして。書いてくれて、感謝だな。と思える箇所がたくさん。

これでよろしくて?

これでよろしくて?

 こんなのとかね。

(話すほどのことじゃ、ないのよね、たいがいのことは)
 胸のなかで、わたしは立木雛子の言葉に頷く。そして、
(でも、話すほどのことじゃない、ことの方が、説明しやすい悲劇よりも、むしろ後になってじわじわと効いてきちゃうのよね)

 読んでる間中げらげら笑えたんだけれども、しかし、思うに、これは当事者からすると、どうなんすかね? 夫の母親と同居している女性たち側からすると。自分と同じように「よくぞ書いてくれた」みたいな感想を抱くのかな? こちらとしては、掲載誌が「婦人公論」ということで、その媒体をどのように川上弘美が消化したかという技量(匠の技)の方にも、どうしても目が行ってしまい、それで余計におかしくて堪らないというところもあったんだけれど。
 で、妖怪の話。

 こわがるから、出るんだ。
 気にするから、見えるんだ。
 ススキの影におびえて見えるおばけ。
「ママン」が姑っぽく意地悪をするんじゃないかと、わたしが脅えることによって出てくる「嫁姑関係妄想」のおばけ。
 光がもしかするとマザーコンプレックスじゃないかと気にするから、「ママン」と光の間にべたべたしたものを過敏に感じてしまうという、おばけ。
 結婚して家に引っ込んでいる女は、世間さまから後れを取ってしまうのではないかというひがみから出てくる、おばけ。

 これってちょっと京極の主張する「妖怪」云々との付き合いに通底しているものがあるように思えませんか?
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 書きすぎかな? ひさびさなんで。つい。ごめん。これで最後。
 新聞広告でも好評ぶりが伝わってくる吉田修一の『横道世之介』。いいところまで行くんだろうなあ。よく知らないけど、本屋大賞とかで。確かにこれで泣けなければ血にサイダーが流れているに違いない云々という比喩を思い出すくらいに涙腺は弛めさせられるのだけれど、でもそっち関係の話はひとまずおいといて。

横道世之介

横道世之介

 直前に出ていた『キャンセルされた街の案内』を読んだときにも思ったんだけれど、いったい、吉田修一のゲイフレンドリーさって、ぜんたいにどのように評価されているのだろう? マーケティング戦略の中に、きちんと組み込まれているのだろうか? パブリックイメージの中には入ってない気がするんだけどなあ。そこらへんの匙加減もかなり絶妙な気がするし。意図的なものなのかな? それともこれって吉田本人の地? だとしたら、生粋の男殺しではないかと。「男殺し」っていいかたもあれなのだけれど、そこらへんに含まれているニュアンスもまるごと込みでの話で。この要素は、表向き、ほったらかしにされているようにも思えるし。わりに謎であります。デビュー作『最後の息子』で開拓されたファン層を決して裏切らないという侠気ゆえ?

「この前、奥さんが浮気したって怒ってたじゃない」
「ああ。あんなのもうとっくに……。というか、この年になってもまだモテると思ってるところが奴の哀しいところでさ」
「何言ってんのよ。お互い男盛りじゃない」
「この場合、女年齢で考えてもらったほうが」
「あ、そうか。……あ、でも待って。私だってアンタたちと同じだけど、私はまだまだ」
「って、奴も言うわけ」
「なるほどね。私も自分で言うのはいいけど同じ年の女が同じこと言ってたら、ちょっと哀しく感じるかも」
「でしょ?」

 フレンドリーだなあ。ちなみに、「奥さん」というのは男ですよ。
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 では、また。