傷のない玉

「かんぺき」って漢字書ける? と問われても、余裕の表情で「完壁」って書きそうな気がします。というか、実際に今までそう書いてきたような記憶が。先日、佐藤正午のエッセイで「『完璧』の璧の下は『玉』ですよ」という記載を目にして、わりに真剣に驚いた次第。「かべ」じゃなかったんすね。「完壁」じゃ。傷のない玉。だから完璧。知らなかった。でも、同様の驚愕の表情を浮かべたひとは他にもいると思う。というか、いると信じたい。「必要」の「必」の書き順を新たに知ったひとも、たぶんこうした驚きを体感したんだろうなあ。「え、今までの私の常識とは違う」みたいな。知らぬ間にパラレルワールドに足を突っ込んでいたかのような驚き。まあ今回のぼくのは、まるっきり不勉強に端を発しているんですけど。
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正午派 ありのすさび
 ファンのための蔵出しといった意味合いがあるんだろうなとは思いつつ、でも初心者にも十分面白かったっすよ。佐藤正午の『正午派』。いやもしかすると「蔵出し」と同時に「初心者向け」といった意味合いもあるのかもしれないけれど。波長が合った。特に他人との付き合いにおける考えについて(←そこが合うひとに好意を抱きがち)。というわけで、氏の他の本もちらほらと読みはじめているところであります。上の玉云々って話は、エッセー集『ありのすさび』で読んだ次第。
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小説の読み書き (岩波新書)
『文芸誤報』もしくは『誤読日記』どちらで紹介されていたのかは忘れたけれど、斎藤美奈子が「何これ? 面白いじゃない」とたたえていた理由が今回ようやくわかりました。氏の『小説の読み書き』。得心した。前に、志賀直哉だの森鴎外だのといった名前が並ぶ目次を見たときには、まったくといっていいほど食指が動かなかったのですが……。
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 だが僕らが忘れてならないもっと重要なことは、短歌に限らず、何かを言葉で表現するときには、それが何であろうと必ず時間をかけて言葉を探す必要があるということなのだ。たとえばきみたちが日記をつける、友達に手紙を書く、そんなとききみたちは思ったことを最初に思いついた言葉で表現できるだろうか。やってみれば簡単に判ることなのだが、僕らはたった一つの言葉を思い浮かべて、その中から最も適切なものを選び取る。その一つひとつの積み重ねで文が生まれ、次にその文全体が適切かどうか判断し、適切と判断した文がつながってやっと文章が生まれる。

 これも『ありのすさび』から。同じテーマは『小説の読み書き』でも繰り返されていて——ちょっと懐かしい感じがしますね。空気の質感として。氏のホームグラウンドである「佐世保」って土地のイメージから喚起されるものもあるんだろうけれど。