コントラスト

 吉田修一の『横道世之介』、評判がいいようだけれども、ここの好感の中には、はっきりとそれまでの吉田修一作品との(善意における)コントラストの際立ちという要素が介在しているような気がしないでもないのです。つーか単にぼくの場合がそうなんですが。善意が悪意を駆逐する情動の波に乗っかっているとでもいうか。
 あ。だからといってそれまでの吉田修一の悪意を軸に展開された作品群が優れていないとかいうわけでは決してなく(『元職員』に秘められている悪意とかかなりいいと思う)。ただ、感情として上記『横道』という作品におけるシンパシーの強さといったら、この作品世界のトーンを思い返しただけでも——「津波」という比喩を用いるのはほんとうに不穏当なんだろうけれども——そうした比喩をあえて用いたくなるくらいに、ぐぐぐぐぐっぐっぐと身体という殻をさえ突き破って天上にまで達しそうなパワフルな昂ぶりをぼくの中にもたらすのです。
 で、いったいこの小説を「好きだ」といっているひとたちの中で、「はじめて吉田修一の小説を読んだ」というひとはどのくらいいるのだ? ということをぼんやりと想像してみたのだけれど……そうした想像自体が、まあ、かんぺきに無意味っすよね。何の役にも立ちやしない。←それでもついしてしまう。好きなんで。
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 それはそれとして、相も変わらず吉田さんはいい男っぷりだよなあと思った(→)。「男っぷり」なんて言葉、ぼくもふだんの生活ではつかいやしないんすけどね。このひとを見ていると、ついつかいたくなってしまう。そのくらいの「男っぷり」。
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 書き終えて、この程度なら、あまり構えず人に親切になれるし、善意も示せるんだと思うんです。

 ↑チェックを入れた台詞。