膾炙とか

 kimonoとかsushiとかkaraokeとかいう言葉が輸出されるのはわかるんだけれど(それまで「それ」に該当する概念が存在しなかったんだから)、しかしどうしてtsunamiという語がふつうに「津波」の意味としてつかわれているのはちょっと私的に首を傾げるような事態ではあるのです。今まで存在してなかったのかな? tsunamiに相当する概念が(日本以外では)。てか、津波の害じたいが。まさかなあ。しかしtsunamiって言葉がつかえなかった頃での津波に対する防災意識ってのはどうなっていたのだろう? わりに謎です。
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 Wikipediaの「津波」(→)。

 1946年、アリューシャン地震でハワイに津波の大被害があった際、日系移民が "tsunami" という語を用いたことから、ハワイでこの語が使われるようになり、被害を受けて設置された太平洋津波警報センターの名称も1949年には Pacific Tsunami Warning Center とされたことから、アメリカ合衆国ではこの語が広く用いられるようになり、その後、1968年にアメリカの海洋学者ヴァン・ドーン (Van Dorn) が学術用語として使うことを提案し、国際語化した。

 なるほど……。やっぱり、(「tsunami」という語が広まる)契機となる出来事はあったんだ。でも、たとえこれを知ったからといって、「津波」そのものを正確に定義できる言葉(つまりは概念)がそれまで存在してなかったってのは、やっぱり不思議だ。注視したくなかったのかな?
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 まあこんなこと打つのはずいぶんと口幅ったいものがあるんだけれども:「『アイデンティティ』って言葉が輸入される前の日本人のアイデンティティに関する概念って一体どうなってたんだろう?」みたいなね。(←って打ってるぼくも、「アイデンティティ」ってものを実のところ正確には知得できてないのかもしれませんけど。)