辞書に訊く

 日本っつったら未だに世界屈指のアニミズム大国だと思い込んでいる節があるんだけれど、もしかするとこれって、擬人化を拒む言語構造にもその因があるのかなあと例によって例の如し与太なことを考えている(というか妄想をしている)。
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 先日の新聞で「『辞書を引く』じゃなく『辞書に訊く』と言え(辞書に対し不遜な)!」とお父さんから叱られたって投書を目にしましてね。このお父さんにはたいへん申し訳ないのだけれど、日本で「辞書に訊く」って言い回しは、決してこの先も定着しないと思うのです。←「擬人化を拒む言語構造」とは、こういう意味において。
 で、英語では「辞書を引く」という文脈で「I consult a dictionary」って言い方がふつうにつかわれてるわけっすよね? 私は辞書に相談する。辞書にまるで人格があるかのような言い回し。まあそこまで話者が意識しているのかどうかは知らないのだけれど。でも、船や車に「she」の世界だしなあ。
 もちろん日本人だって、物に人格を覚える——愛着・哀惜の念を抱くことは決して稀ではないと思う。しかし、言語の構成上、そうした情念を日常であらわにすることは許されない。あらわしたら「辞書に訊く」という風に、妙な具合になってしまう。で、そうした際にこぼれ落ちた情念が、寄せ集まり、いわば集合意識と化し、アニミズムという形を取って、日本各地で未だに命脈を保つ結果となっているのではないだろうか?
 …厳しいなあ。
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 ところで、「アニミズム」って「アミニズム」と間違えやすいっすよね。自分だけかな? 上の文章、見直す前、「アニミズム」のところをすべて「アミニズム」って打ってましたよ。
 いいづらいんだ。「アニミズム」って。「アミニズム」より(←個人的にはこっちの字面の方がバランスが取れているような気もしている)。