文房具図

 鉛筆で字を書く際に紙に当たる音がわりに好きだ。ボールペンでもシャーペンでも絶対に出せない種類の音だと思う。かつかつかつかつと。ついでにいうなら、紙の辞書を捲る感覚もわりに好きだ。他では決してつかわない筋肉をつかってる気がする。せいぜいタウンページを捲るときくらいだろうか? 同じ筋肉をつかってるのって。そのくらいの希少性。
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 と、別に擁護する必要はないのに擁護してみました。鉛筆と紙の辞書。形勢が悪くなっている——ことはないとは思うけれども、効率を最優先するような空気から微妙にはじき出されている気もするので。「ひとの趣味はそれぞれだよ」と、声を掛けてみた。擬人化…ってわけでもなく。それこそ「アニミズム」の一環として。けっして嘘の情ではないし。というか、鉛筆も紙の辞書も元が樹木(生き物)だから、こうしたシンパシーを抱きやすいってのがあるのかな?
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 ところで電子辞書。ずうずうしいことを希う。早いところ大陽電池式にシフトしてくれないものだろうか? 全的に。電卓のときみたいに。
 でもって、「ああ、昔はいちいち電池を入れ替えてたんだよねえ。なつかしいねえ」といった話題で、別に盛り上がる必要はさらさらないけれども、そうした、技術の進歩のありがたさを真に噛みしめる機会を将来持ちたいものだと、切に切に思うのです。
 いやほんと、大陽電池の電卓のありがたさには、毎回頭を垂れてるし。心中で。比喩として。いいのかなあって思ってしまう。無料でつかえて。その一方で、電子辞書の電池が切れる度に「おい、またですか?」と狭量なところを発揮しているという…。実際、どういうわけだか、こと電子辞書に限って、その電池が切れる度合いを不条理に「多いなあ」と感じてしまうのです。使い方を誤っているだろうか?(蓋の締めすぎとか)