託宣的

 2002年逝去だからもう8年か。早いっすね。ナンシー関の話。今も彼女が生きていたらあの物件のことをどう評しているだろうかという想像が蠢くことは正直最近テレビとは縁遠い生活を送っているので稀なのだけれども、ちょっと思ったのは、西原理恵子の画力対決にナンシー関がサプライズゲストとして登場するというのは中々にこちらのツボをいい具合に刺激する妄想となってるなあということなのです。記憶スケッチアカデミーの理事長として。ぜっったいに叶わない話ではあるのだけれど。だからこそこちらのツボをいい具合に刺激する妄想となってるわけで。そもそも理事長である彼女が記憶スケッチを披露する機会というのにこちら側は恵まれてなかったわけで。そこらへんを西原がどういじるか。いやいじらないか。んでもって、リリー・フランキー安斎肇の時のように、西原の描くイラストも消しゴム版画にする、と。実際、西原理恵子の絵って消しゴム版画にするととてもよく映えるような気がするし。というか、西原がナンシー版画用に新たにイラストを描き下ろしてくれたりなんかしたら(コラボってやつだ)当時の自分なら若かったから「欣喜雀躍」を地でいっていただろうな。叶わぬ妄想。39歳の死っていうのは、やっぱり早過ぎだったよなあと思うのです。
ーーーーー
 ところで、画力対決にしろ記憶スケッチアカデミーにしろ、両者ともども、巫女の託宣に似てるところがあるような気がする。唐突ですが。しかもまた「巫女」とかいうと微妙な部分を刺激しかねないのかもしれないけれど。
 触媒(絵)によって喚起される巫女たちの言霊に一喜一憂する共同体内の民という図。みたいな。ちょっと前近代って感じがするんだぼくからすると。まあ誰もが出来るわけではないというのは確かでしょう。共同体、ということでいうならば、ナンシーと西原の棲息しているところは同じ項目に属するのだろうし。