誤名

 えーと今度できた三菱の美術館でやってるのってマネだっけモネだっけどっちだっけ? というくらいにこのふたりの区別がつかない。今確認してみたらマネだった(→)。でもまたしばらくすれば「どっちだっけ?」という疑問に襲われそうな気もする。そういうことをこの人生の間で何回も何回も繰り返して来た。興味がないわけではないと思うのだけれど…でもやはりこれは「ない」ということになるのかな?
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 それと同じようなことを今回鬼籍に入られた井上ひさしに対しても思う。といっても、氏と「井上靖」の区別が付かないというのでは(一応)なく、鬼籍に入られたことで、このふたりの混淆度が未来のひとびとの間でより一層増したのではないかということをぼんやりと想像するのだった。つまり、もしぼくがマネとモネと同時代に生きていれば、上で書いたようないつまで経っても解決しない混淆から容易に抜け出せていたかもしれない、という気がしないでもないということがここではいいたいのですね。

  • マネ:1832-1883
  • モネ:1840-1926

 どっちもフランスの画家だしなあ←という大ざっぱな括り方に問題があるということは重々承知の上で。

  • やすし:1907-1991
  • ひさし:1934-2010

 どっちも日本の作家だしなあ→という大ざっぱな括り方をする未来のひとに、今からほんのりと同志愛のようなものを感じていたりする。
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 たぶん北条家の子供たち——北条時政の子孫たちのあまりにややこしい名前の群(→)を巧みに覚える技ってのも世の中には存在するのだろうけれど…しかし、そもそも鎌倉時代には、はっきりと興味が湧かないのだった。こうした名がネックになってるってのもちょっとはあるような気もするけれど。