外延

 まあ期待はしていたけれど、うまいよなあ。江國香織の『真昼なのに昏い部屋』(→)。ああ判る判るその気持ち、って感じるひとが大勢いるだろうな、っていうことを思わせる手腕がほんとうにうまい。ということはすなわちぼくもまたその「ああ判る判るその気持ち」っていう風に感じていたひとりに他ならないわけですが。(はしごの比喩が中々出てこないところとか。)
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 ところで、事前に知っていた「大人の恋愛」を「絵本の文体」で描くという試み。これに対し、素直に「つまるところそのミスマッチが楽しいんだろうな(おかしな喩えだけれど「羊頭狗肉」←悪い意味ではなく・みたいなものなんだろうな)」という風に想像していたのだけれど、一読してみると、そうは単純なものでもないんだな。大人と子供(絵本の文体)ってのを対立項として捉えているってのが既にして陳腐極まりない感性なんだろうけれど。
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 では、何がそう単純ではないのかというと…うーん、どうにもぼくには、この小説が、多和田葉子がいうところの「エクソフォニー」(→)の新しい形に見えて仕方がない。いわゆる「母語の外に出た状態」ってやつ。使われているのはとてつもなく判りやすい日本語なんだけれど、でも明らかに「違う」んだよな。
 で、それはもちろんここでの絵本の文体(で描かれるところの恋愛描写)、そして主人公のひとりに外国人が設定されているところから湧き上がってくる感覚なんだろうけれど——うーん…うまくいえない。
 結局、門外漢のぼくがこんな文章を綴っているより、多和田葉子が『真昼なのに昏い部屋』の書評に直接乗り出してくれたら話が早いしとてつもなく面白いものが読めるような気が濃厚にしないでもないという風に思っている次第。無理だろうか?(この想像自体が楽しいってのもある。)江國香織多和田葉子って名の連なりもどことなくミスマッチのような気がしないでもないけれど…これこそ正に陳腐極まりない感性なんだろうな。