息子局

 はたして女性の声による振り込め詐欺は可能なのだろうか。
 原理的には、おそらく「可能」(ということばをつかうのにも躊躇いが生じるところではあるのだが)なのだろうけれど、しかし、その具体的な内実となると、わたしの乏しい想像力では追いつけないものがある——早い話が、電話口で、何を、どのように語る(騙る)のだろうか、ということが、まるでつかめないのだ。
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 宝塚の男役にフェロモンを感じ取るヘテロセクシュアルの女性、という存在は、紋切り型ではあるものの、紋切り型であるだけに、十分に想像可能である。ところが、歌舞伎の女形にフェロモンを感じ取るヘテロセクシュアルの男性、という存在は、こちらの想像力の欠如というものと相まって、なかなかにその像を心の中で結びつけるのが困難である。
 男性の声による振り込み詐欺の件数を「A」とする。
 女性の声による振り込み詐欺の件数を「B」とする。 
 宝塚の男役にフェロモンを感じ取るヘテロセクシャルの女性の件数を「C」とする。
 歌舞伎の女形にフェロモンを感じ取るヘテロセクシャルの男性の件数を「D」とする。
 あくまでわたしのなかで、これらの数は、きれいに比例式として成り立つ。すなわち、

  • A:B=C:D

 というものである。
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 ここで、ひとつの仮説が生じる。
 岩明均著『寄生獣』に「田村玲子」というキャラクターが出てくる。頭だけをエイリアン(という呼称はおそらく作中では用いられていなかったと記憶しているのだけれど、便宜上、ここではこの語を用いる)にのっとられた妙齢の美女である。このエイリアンは、かなりに高度な知性を有する。かなりに高度な知性を有するだけあって、「田村玲子」は、まわりの人間に正体を隠し通すことに成功し続けている。ただひとり、「田村玲子」の(エイリアンにのっとられる前の)生物学上の母親を除いて。
 わたしの仮説とはこういうものである。
 すなわち、「田村玲子」の正体を、母親が見破ることができたのは、「田村玲子」が女性だったからではないだろうか。もし仮に、「田村玲子」にのっとったエイリアンが、男性にのっとっていたならば、同じように、男性の生物学上の母親と接触することになっていたとしても、その正体を、いつまでも——というのはさすがに不可能だとしても——しばらくの間は、決して見破られることはなかったのではないだろうか。
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 実際、わたしの頭の中で、この「『田村玲子』がもし男性だったら」というシチュエーションは、容易に想像可能である。そこで、母親は、「彼」の正体を見破ることなく、つまりは、エイリアンの正体を見破ったからといって、無惨に殺されることもなく、しばらくはそのままの生を生き続けていくという(比較的のんきな)図が展開されている。
 少なくとも、上で書いた、「女性の声による振り込め詐欺」の内実を想像する行為より、わたしにとっては、かんたんな作業である。
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 女性の声による振り込め詐欺の内実を具体的に想像するのに必要とするエネルギー総量を「E」とする。
「田村玲子」が男性だった場合のその後の母親の運命を想像するのに必要とするエネルギー総量を「F」とする。
 すると、先の比例式の末尾に、

  • A:B=C:D=E:F

 という風に付け加えることが可能である。くりかえすけれど、あくまでわたしのなかで、という限定があっての話である。しかし、この手の式は、もっともっと末尾に付け加えることができそうな気もする。