三だらけ

 今更ながらなのだろうけれど、夏目漱石の小説にはやたらと「三」の入った登場人物・動物が出てくる。『三四郎』の小川三四郎の他に、

  • 吾輩は猫である』の三毛子と多々良三平
  • 『それから』の平岡三千代
  • 『行人』の三沢
  • 『道草』の健三

 三だらけだ。
 まだ他にも存在しているのかもしれない。
 とうぜんこの頻出する「三」にはなんらかの意味が込められているのだろうとは思いつつ、現時点においては、あまりにこちらの手持ちの情報が乏しくて、そのヒントの端緒にさえも辿り着けないのだった。
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 自伝的要素が濃いとされる『道草』には、

 彼には一人の腹違(はらちがい)の姉と一人の兄があるぎりであった。

 という記載がある(→)。姉と兄がひとりずつ、であるから、『道草』の主人公「健三」は三番目の子供として「健三」と「三」の付いた名が付けられたのだろうと鑑定しつつ、だがしかし、実際の漱石には、上にもっとたくさんのきょうだいがいたらしいから、これを「三」に執着する理由として挙げるわけにはいかない。(そもそも、ひとは「何番目の子供である」というその数字をアイデンティティの基盤として終生設定することが可能なのだろうか、という疑問もある)。
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 もしくは、ここには何ら意味はないのだろうか。漱石の生きていた時代に「三」の入った名前は、とくべつに、さわぎたてるほどのことはない、ごくありふれた物件だったのだろうか。
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 それとも、これは、作中の人物・動物の名に「三」を頻出させることにより、サブリミナル効果で、自分の他の作品にまで読者の食指を蠢かせるようにする、漱石サイドの販売促進戦略のひとつだったのだろうか。