悪魔的

 前にも書いたことがあるのだけれど、わたしが生まれてはじめて自分のお金を出して買った小説は、筒井康隆の『俗物図鑑』だ。当時新潮文庫から出ている筒井康隆の本の中で、一番ぶ厚く、子供心に「金を出した分のもとは取れるだろう」と踏んで、近所の小さな書店で買ったのである。
 では、そもそも、なぜ筒井康隆の小説を読もうと思い立ったのかというと、手塚治虫の『ばるぼら』に「筒井隆康」なる小説家(隆と康が逆)が出ていたからに他ならない。確か、作中では、「筒井隆康」の作品に、「多分に悪魔的な」という形容が冠せられていたように思う。当時中学生だったわたしは、この「悪魔的」の内実が知りたくて堪らなくなり、それで生まれてはじめて、漫画ではない、文字だけの本を(山藤章二のイラストが入っていたから、正確には「文字だけの本」ではなかったのだけれど)購入するに至ったのである。
 とちゅう中断を挟みながらも、数週間掛けて読み、そして、ラストで泣いた。つまり、中学生だったわたしは、『俗物図鑑』という小説に、じゅうぶん満足したということになる。満足は、確かに、した。確かに、したのだけれど、その実、自分が事前に想像していた「悪魔的」というものとは懸け離れている世界が展開されていたことに、戸惑いもしたのだった。早い話、その点に関しては、若干、不満を抱いたといってもいい。
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 十数年ぶりに『ばるぼら』を読み返す。件の箇所は、正確には、このようなかたちのものだった。

 筒井先生…ああ ご作品はよく拝見しています
 多分に 悪魔的なユーモリストですね

 この話し手が「『偉大なる母神』協会日本支部支部長」なる肩書きの男性だったから、もしかすると、ふつう一般に流通している「悪魔的」なるものとは違って意味で——純然たるほめことばとして——ここでは用いられていたのかもしれない。
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「石原慎二郎」くんが都知事選に出ていたり、主人公の作家の書く小説のタイトルが『緋の棘(ひのとげ)』だったりと、いま読み返してみると、『ばるぼら』のそういう細かいところにも反応してしまう。
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 これも前に書いたことがあるのだけれど、『ばるぼら』内の以下の台詞によって、わたしは安部公房箱男』にも激しく食指を動かされたのだ。

安部先生 最近「箱男」っていうのを読んだわ
おもしろかったわ
でも 狂気じみてるわ……

 作中の女優(では正確にはないのだけれど)の言。中学生だったわたしは、「悪魔的」だの「狂気じみてる」だのということばに、めっぽう弱かった。いまもその傾向が完全に消え去ったとはいえない。