あたまでっかち

 けっこう藤子・F・不二雄のSF短編「イヤなイヤなイヤな奴」が私に与えた影響は大きくて、要するにあれは「同一の敵を前に結束する人間の習性」を巧みに揶揄した優れた作品なのだけれど、そしてもしかすると、いやもしかしなくても、この短編の影響などではなく、もともとの性格がこうなるようにプログラミングされていたからなのかもしれないけれど、とにかく、誰か特定の人を「わるもの」にしてまで他人と仲良くはなりたくないという思いは昔から根強くある。とほほ。困ったもんだ。
 つまり政治とかその手の類いにはめっぽう弱い。よくみんな他人(つーか、他の“コミューン”)のわるくちってのを大っぴらに言えるなあと思い切り感心する。なんて、なにいいひとぶってるんだか、ではある。ふう。潔白ぶっちゃって。こういうやつがいちばんたちが悪いのだ。ちょっとここには“洗脳”が働いてるかも。といいつつ、私は他の誰かと共通の事象で盛り上がるという能力そのものに自信がなくて、結局、共感力が弱いってことなのかも。要するにバカ? ちぇ。
 いや、それ以前に、関心が内に向かってるってのがかなりやばいっぽい。いわゆる泥沼。うーん。今日でこうした心情告白やめるべきか。そして明日から外部に「敵」を想定して日々是戦で生き抜くべきか。しかし、その「敵」たる理由をきちんと検討する前に「敵」と認定するという行為を現在「敵」視している節があり、それを自分でやるようになっちゃおしまいだろってことで、ああ、なんたる泥沼。もっと楽に生きたい。つーか生きろよって話であります。