つかみづらい

 辻仁成の本って今まで一度も読んだことはないのだけれど、前にAERAの表紙に載ったときこんなことを言っていたと記憶している。すなわち「僕は幼い頃いじめにあっていた、そのことをテーマに小説を書いていきたい」。違ったかな。でも大筋として間違ってないと思う。関係ないけど、この「いじめ」って言葉、ひらがなで書くといかにも口語風でゆるいんだけど、一旦「苛め」って漢字に変換すると、なんかその意味しているところのものがヴィヴィッドに立ち上がってきますね。私だけか。でここで取り上げたいのが林真須美が付近の住民に苛められてたという話。週刊新潮はまた悪趣味の限りをもってこの話を扱ってるんだけど、へえ、もしそれがほんとならなかなか興味深い話だなあと下種っぽく反応した次第。カレー事件「林健治」出所で被害者家族が恐れる「復讐」。どうなんだろうね。つーかこの話がけっしておおっぴらに語られはしないだろうなってことにこそ私の興味はある。たとえほんとに苛めがあったとしても、さすがにカレーで殺しちゃなあ、みたいな。それに、こんなことをするような女だからこそ苛められたみたいな話も持ち上がってくるかも。いっしょにするなって話だが、冒頭の辻先生にしてもなんとなくいじられる感覚ってわからないでもないし。で及川ミッチーくらいになるとそれがまた逆転するんだけど。にしても、この前の田中娘の件にしても、あれを「いじめ」とは言いづらい(「いじめ」だけどね)この感覚って一体何だ? 自分も「いじめ」に荷担しているからこその罪悪感を伴った自己規制。なんて。あ、やっぱり「いじめ」って「パクリ」と同じ、現代社会においてなかなかその真意を掴みがたいアメーバみたいな言葉なのかも。「異端狩り」って言ったほうが通ずるか。「異端」って判断もまた流動的過ぎて怖いなあって話ではあるが。