品定め

 と言いつつ、島田雅彦の大放談には、ちょっと(嘘かなり)笑った。古井由吉高橋源一郎とによる座談会。綿矢りさの活躍をふまえて曰く。

 社会に対して、どういうコミットができるのか、あるいはできないのか、それを男性作家は罵詈雑言や饒舌や浮かんでは消える観念で処理しようとする。一方、女性作家はそういう方法を取らずに、こんなどうしようもない世の中だけれども、スノッブに生きてみようかとか、絶望を「春は曙」的な感慨の中に溶かし込み、希望の原理に変えようとか、そういう処理の仕方をする。

 またまたー、と肩を叩きたくなってしまいたくなる内容。この前日経の夕刊で、早稲田の文芸部員(女子)が、ずいぶんと綿矢りさにいたたまれない感情を抱いている記事を読んだけど、そういう子たちがこんな発言目にしたら、それこそ島田先生、夜道を一人で歩けなくなっちゃうんじゃないかしら。あと男子。どうだろうこれ。当たってるの? 
 おもしろかったから、高橋源一郎の発言も。

 綿矢さんって、時代と縁を切ったって感じだよね。もちろんデビュー作の『インストール』は、最も典型的な時代のツールを使ってるのだけれど、作品自体はそういうツールに侵されていないわけです。『蹴りたい背中』も、もちろん今の時代に生きてるからそれらしいものも出てこないことはないんだけれど、この小説の舞台、別にどの時代でもいいんですよね。50年前でも100年前でも、戦争中でも成立する。

 もういっちょ。順序は前後しますが。

 面白かったのは、綿矢さんが、「私の世界は狭い」と認めちゃってることですね。多分そういうことは今までみんな思っても言わなかったよ。つまり、つっぱって、無理して、背伸びをする。で、背伸びをしながら身長を伸ばしていくものだった。ところが「私の世界は狭い」って、そう素直に言われると(笑)。

 雨夜の品定め。オヤジが集って勝手なこと言ってるよ、みたいな話でなく(まあそういう要素もちらと感じつつ)、どうなんだろう、これ? と誰にともなく問いかけてみたくなる。