H家退去

 仕事から帰ってきたら、母親が「いいしらせがあるのよ」とにこやかに言う。まあどうせ碌なことではないんだろうと期待せずに聞いてみると、なんと、我が家の真上に住むH家が引っ越すとのこと。「へぇー、なんで今頃?」「知らない。でもKさん(我がマンションの主)に言われちゃった。“よかったわねえ”って」。
 H家は、母と息子のふたり暮し。40歳にならんとする息子は、時おり奇声を発しながら、険しい顔をしてよく道を歩いていた。マンションの住民、特に女性は、彼とエレベーターが一緒になるのを心底怖がっていて、かくいう僕も、マンションの駐輪場で、この男に殴られそうになったことがある。駐輪場の入り口に足を踏み入れたら、目の前に彼がいて、いきなり手を上げられたのだ。あのときの彼の顔はちょっと忘れがたい。小さい頃、H家に遊びに行き、彼から相撲取りの人形をもらったこともあるのだけれど。
 この親子が室内で暴れる際に生じる騒音はすさまじいものがあり、あれから解放されるのなら、まあよかった、と正直僕も思う。ただ、昨今の風潮からして、彼がどこかで何かの騒動を引き起こすのではないかという気もしないでもなかったり。