夏目房之介「マンガの深読み、大人読み」

マンガの深読み、大人読み
 もう、何といっても圧巻なのは(表紙にもなっている)「あしたのジョー」論と、ちばてつやとの対談ですね。このマンガを、通して読んだことがないにもかかわらず、興奮で頭から指先まで総毛立ってしまった。いや、矢吹丈の運命云々に、といったところに感心したわけじゃないよ。もちろん、それはそれで面白かったんだけど、梶原一騎の原作と、ちばてつやの解釈とのせめぎあいに、「ふーむ」とうなるものがあったのです。
 物語の最初の方では、原作にはない、ちばてつやオリジナルのキャラクターが活躍してます。ドヤ街の子供たちとか、ガールフレンドの紀子とか。そもそも、ちばてつや梶原一騎の描き出す世界にあまりなじめなくてやった処置らしいのです。だが、物語が動き出すにつれ、彼らの登場シーンは減り――途中に力石の死をはさみ――最後にはまったく姿を見せなくなる。これを、対談を読む限りでは、ちばてつやが無意識の内にやっているように思われて、そこがぼくなんかにはかなりのツボ(人格の統一?死の受容?)だったのだけれど、・・・にしても、ちばさんってほんとうに人の良い方ですね。「ぼく、夏目さんの絵、好きなんです」なんて、たぶんこれ、夏目房之介における最大級のほめ言葉じゃないかしら。
 連載当時の少年マガジンの勢いはすごくて、こんなエピソードも紹介されてます。

 69年(昭和44)頃、夜中の少年マガジン編集部。一人の男がフラリと入ってきて、言った。「毎週少年マガジンを買っているが、書店も閉まって、今週号を買えなかった。売ってもらえないだろうか。」コンビニなどない時代だ。応対に出た編集者が困惑している。当時の副編集長・宮原照夫さんは、男の顔をみて、すぐ飛び出した。
 男は故・三島由紀夫であった。『あしたのジョー』を楽しみに読んでいるという。宮原さんは雑誌を渡し、代金を払おうとする三島に、「編集部では受けとれませんので」と進呈した。その話を梶原一騎に語ると「う・・・・・・む」と黙ったまま、無感量の様子だったという。
 翌70年2月、丈との8週分の激闘の末、力石が死に、11月、三島は自衛隊市ヶ谷駐屯地で割腹自殺をとげた。ちばさんは、ほとんど作中人物と一心同体となって呻いていた。