多和田葉子「旅をする裸の眼」

旅をする裸の眼
 昨年の暮れ、はじめて新宿ジュンク堂書店に寄った際、この本の平積みがやたらと減っていた(つまりは売れていた)ことに、何か、妙に腑に落ちる思いがしたことがあります。確かに、新宿ジュンク堂多和田葉子の本というのは、相性がよさそうだもんなあ。といいつつ、単に書店員が補充を忘れていただけだったのかもしれませんが。そのときは、養老孟司の選ぶ本がエスカレーター脇に置かれていて、「楢山節考」や「脳の中の幽霊」と一緒に、「めぞん一刻」の文庫が所狭しと並べられていました。相変わらず、養老孟司高橋留美子が好きなんだなあ、と感心もしたり。まあそれはともかく。
 この本には、一度も「カトリーヌ・ドヌーブ」という名称は出てきません。けれども、彼女の出てくる映画が、この作品における重要なパーツをなしています。主人公のベトナム人女性は、彼女の存在にこそ救われているといっても過言ではない。それなのに、わざと、なんだろうなあ、彼女の名を明記しないというのは、多和田さん、ものすごい度胸ですね。いちいち、この女優に話しかける所のみ文体を変えていたり(はじめは、単なるケアレスミスかと思った)、細部にまで意識が行き届いています。しかも、「ユリイカ」によると、この作品、日本語とドイツ語で同時に書かれたとのこと。「同時通訳」ならぬ、「同時翻訳」。すごいっすねえ。
 そういえば、昨年、雑誌掲載時にいちおう目を通してはいたんだよなあ(id:Tomorou:20040118#1074422354)。そのときは、全然お手上げ状態だったのだけれど、今回、酒を舐めるがごとくちびりちびりと読み進めて、じゅうぶん、多和田葉子の織り成す世界を堪能できました。至極満足。ちなみに、ぼくはこの本に出てくる映画では「ダンサー・イン・ザ・ダーク」しか観たことがありません。こういった、映画経験値の差によって、読後感は違ってくるのだろうね。