千住博「美は時を越える」

美は時を超える 千住博の美術の授業 (光文社新書)
 まあ、題名通りのことが、そのまま主張されている本とみなしてかまわないです。そっかー、美は時を越えるのだな、すばらしいなあ、という具合に。具体的に、取り上げられている“美”をいくつか紹介。アルタミラの洞窟画。モネの睡蓮。メトロポリタン美術館の鎧兜。そしてアンディ・ウォーホルの「ゴールド・マリリン」。個人的に、このウォーホルの記載が一番おもしろかったです。もう少し、ウォーホルってシニカルな人なんじゃないかと思っていたのですが、千住博の手にかかると、何かこう、現代の宗教家っぽい衣装を身にまとい、我々の目前によみがえってくる。そうそう、真面目なんだ、千住博さんじたいが。それこそ、シニカルなんて要素はこの本には皆無。題名が「美は時を越える」――時、どころか、空間をも越える――だから、当然といえば当然なのだけれど。
 …で、そんな真面目な千住博さんなのですが、どうして「週刊朝日」2月25日号で、田中真紀子と対談していたのかなあと、いぶかってしまうわけです、ぼくなんかは。(対談は、特に感想が出てくるような代物ではない、ごくごくありきたりな内容。田中真紀子を目の敵にしている人には、いろいろと突っ込みどころがあるのだろうけれど、そのジャンルにはぼくは不案内なので。)ふーむ。これって、双方、どんな効果を狙ってのパフォーマンスなのでしょうか。特に、千住博サイドに立って考えてみると、あまりメリットは求められないような気がうすぼんやりと…。あ、千住さん、かなり本気で真紀子本人に心酔しているようで、ここにメリットだのパフォーマンスだのといった言葉を持ち込むことじたいが野暮なのかもしれません。それは認める。人が誰を好きになろうと勝手だもんね。認めつつも、でもさあ、(あまり大きな声では言えない)田中真紀子って、はたして“美”かあ?
付記:そういえば、昨年の6月に、千住博展に行ってきたのでした(id:Tomorou:20040612#p5)。そこに贈られた花の数々を見て、ぼくはかなり驚いたのだけれど、まあこの驚きじたいが、もしかすると古い感性なのかもしれません。