「団地ともお」4巻*1

 地元の書店にも、職場近くの書店にも置いていなくて、結局オアゾまで足を伸ばして買ってきた。星新一の「ブランコのむこうで」はどんな小さな書店にも置いてあるのに(何故なんだろう、と何も知らない振りをして首をかしげてみる)、この冷遇さはどういうこと?とちょっと不思議に思う。特にマイナーなマンガではないはずなのだけれど。それはともかく。先ほど、全編一気に読んだ。そして、もう一度、一気に読んだ。さらにもう一度、一気に読んだ。そこで思う。この翳り具合は、一体なに?
 数えてみた。この巻に何回死のエピソードが登場するのかを。扉絵にも登場している真木ゆりの回。好奇心旺盛なカラスの回。校長先生の回。ともおの祖父母の回。計4回。やや多いと見るべきか、それとも、日常における死などこのくらいが相応と見るべきか。作中マンガ「スポーツ大佐」は新章に突入し、子供たちから見放されていく。変わって、大学生やサラリーマンから支持を集めるようになっていくのだけれど、それとこの「団地ともお」の翳り具合はシンクロしていると見るべきか。「スポーツ大佐」が子供たちに飽きられた理由は、はっきり「殺し合いのシーンが無くなったから」なのだ。その分の死が、本編「団地ともお」になだれ込んだのかもしれない。
 そもそも、小田扉の資質が哀しみとは無縁でないことは重々承知している。思い起こしてみると、1巻2巻3巻でも、既にして死は登場しているし。(ただしあくまで刺身のつま程度。)ともおの父の顔が決して描かれないことなど、その立派なメタファー、と言うのはあまりにも野暮か。だから、特に今回の翳り具合に驚いてはいないのだけれど、そして、そんな翳り具合が、決して嫌いではない、と断りつつ、やや(あくまでやや)笑いの点からは肩すかしだったかなとちらりと思う。
 念のため。単純に、小田扉が疲れてきているから、なんて真相ではありませんように。