「男の子流」文学
上期「徹底抗戦!文士の森」での、笙野頼子による舞城王太郎評、ちょっと写し取っとこうかな。個人的に、かなり気になったので。
(P.51より)
舞城氏はリズムもオノマトペも決してまずくはなく、
イメージや理屈の飛びは時に独特で興味深い。
しかし氏はまだそれこそ未分化であり、
ともかく私小説性であれ切実幻想性であれ、
その必然性というものをおろそかにしたまま書いている。
ラノベ的(このラノベという言葉も
初期の定義からずれているそうなので
私が使っているのは今の定義という事で)な部分を
むしろセカイ系への批判と見るむきもあるようだが、
私は鋭さが足りないと思う。
批評というより楽しんでる部分があるのではないか。
また九〇年代フェミの無効化ライト化という、
こちら側からの違和感については選評でのべた。
要するにまだまだ批評家ヲタク小説である。
しかし、もし、可能性があるとしたら
昔の女流という言い方に対応するのではないが
「男の子流」小説という事で傍流的になるのではないだろうか。
今の時代実は男の子の立場を客観視するという事こそ
大変な苦行となってくるのである。
「男の子流」小説、か…………。