親指Pの修業時代

松浦理英子のエッセイや対談集をここのところ続けて読んでいたので10年ほど前に手に取った本書を再び通読してみる。ちなみに1994年度女流文学賞受賞作品。(当時はそのような賞が存在していたのです。)いやー。意外と覚えてないものだなあ。登場人物はともかく筋に関してはまるではじめて触れるかのような感触。うん。だからかなり入り込んで読めましたね。「そうそう、あったあったこんなシーン!」という感じで本を閉じるのがしばし不可能であった。
いちおう知らない人のために説明しておくかな。右足の親指が突然ペニスになってしまった女子大生の話です。(あ。大学は休学しているんだっけ?)――と大雑把に書くと何やら奇抜な印象を受けるかもしれないけれど全然そんなことないよ。著者は最後まで真面目に性というテーマに取り組んでいてエロの介入する余地など皆無。皆無というのは大袈裟か。つまりポルノチックな描写が皆無だということです。
そんな彼女が付き合っていた男と別れたり新しい恋人に出会ったり同じく性に関する様々な形態を持つ人々と接していく内にどう変わっていくのかというのがこの小説における大きなテーマであります。はい。松浦理英子ははっきりと「性器結合だけが愛じゃないよ」ということを訴えたかったのだろうけれどそれは成功していると思う。というかそもそもその手の言説には今まであまり触れる機会がなかったのでたぶん松浦理英子に教え諭されるまでもなく「大丈夫」だったと思います。
――つーかさ今回改めて読み返してみて興味深く感じたのはどちらかというとそうしたテーマに関することではなく主人公の一実さんと当時付き合っていた彼氏正夫くんとの「擬似恋愛行為」だったりするんですよね。(付き合っていたのに「擬似」とはこれ如何に? つまり互いに「演技」して恋愛行為に耽るということ。)先ほど登場人物だけ覚えていて筋についてはアッパラパーと書いたけれど実のところこの「擬似恋愛行為」の箇所だけはしっかりと覚えていた。この時の正夫くんは一美さんの親指にペニスが生えていることなんて夢にも知らず成り行きでそうした「行為」を行ってしまうという……。うーん。
小説のはじめに「擬似恋愛感情」を供給する会社を運営していた女性(一美さんの友人)が自殺したとのエピソードが挟み込まれているのだけれどこちらの話も詳しく読んでみたいと感じた読者もそう少なくないことでしょう。って単純にぼくがそのひとりなだけだが。

擬似というか何というか

そういえば2000年刊の『裏ヴァージョン』にこんな文章がありましたね。上の「擬似恋愛感情」とちょっとダブる。引用してみます。

まだ本格的な構想を練ってはいないが、三人の仲のよい女子高生がいる。本人たちが初めからそんなふうに意識していたのではなく、まわりの同級生たちが「あの三人はパパとママと王子様だ」と言うので、三人も何となく自分たちをそのイメージで捉えるようになる。〈王子様〉と見做される少女は、父親を亡くしていて看護婦の母親と二人暮らし、夜勤のある母親とは毎日顔を合わせるわけではない、という孤児に近い境遇である。〈パパ〉といわれる少女と〈ママ〉といわれる少女は、保護本能の強い性質であり〈王子様〉を可愛がったり時には体罰を加えたりしてかまうことに学校生活の楽しみを見出している。そうした行動の中に思春期の性衝動が紛れ込んでくると、〈パパ〉と〈王子様〉の間で一種の性的な行為が交わされそうになる、つまり近親姦が起こり、〈ママ〉はそれを薄々知りながらも嫉妬を露わにすることもできず、自分が〈パパ〉と性行為をする気にもならず、悶々とする。他にもいろいろあって、仮想の家庭はどんどん狂って行く。

仮想の家庭。近親姦。ん。ん。ん。これもまたうまく言えないのだけれど「少女マンガ」っぽい雰囲気っすね。そしてその(想像上の)「少女マンガ」的要素に強く惹かれる自分がいます。何なんだろうこれ?

『P』の映画化?

――え? 『親指P』って映画化されてるんですか? 文庫本の裏にそんなこと書かれてますが。『ナチュラル・ウーマン』じゃなくて? ん。ん。ん。知らないなあ。ぽしゃっちゃったのかな? そもそも親指にペニスをつける予定の女優は誰だったのだろう?(今なら蒼井優ちゃんあたりがベストだと思う。って別にペニス云々は関係なくズバリ一美さんの雰囲気にピッタリ。やってくんないかな。無理かなあ……。)(次点で沢尻エリカちゃんに1票。)